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zoom RSS 『邪馬台国三国志』古代史の常識と通説を疑え2〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉2

<<   作成日時 : 2014/08/18 07:25   >>

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‥‥那珂(中)つ国→五帝期黄帝の一門が渡来して建国
B縄文中期中頃(四五○○年前)になると、寒冷化が始まって関東・中部の遺跡は急減し、近畿を中心とする西日本のそれは急増した。それは、黄帝一門が四三〇〇年前に日本列島に渡ってくることや、水田稲作が中国大陸から四方八方に広がることとも無関係ではなかろう。そこで、こう考えた。
「黄帝のやり方を真似た彼は、仁徳・慈愛の政を謳って福岡平野に都する神仙の国(神国)・那珂つ国を立ち上げると、東西南北四方に忠臣の四カ国を配置して国邑を守ってきた。
その四カ国とは、土の神を称えて后土末裔と自負する北の黄泉国 (鬼国、闇見国、宗像・玄海から博多湾・玄界島に至る玄界灘沿岸)、
同じく、地の神を祀って黄帝一門と称する東の杵築国(大分県)、
火神を奉って炎帝子孫と語る南方の火の国・その配下の熊族(熊本平野以南、後の熊襲)、そして水の神を信奉する西の海神国(筑紫平野)だった」
【玄界灘沿岸の地名】、博多近くに那珂・那珂郡・那珂川の地名があり、その北に暗黒の幽冥界を連想させる玄界灘・玄界島・玄海の地名が残る。これこそ、那珂つ国や、その一門の后土の国、黄泉国があった名残であろう。
C那珂つ国勢は、山陽道・山陰道を突き進んで出雲・安芸・吉備に乗り出しては要所要所に分国を立ち上げ、先住民らに神国づくりや焼畑農法を教えていた。後期末になると奈良盆地に出先まで設けて、東勢と物々交換していたらしい。これは、広田遺跡や橿原遺跡から見て取れる。
【広田遺跡】(福岡県二丈町)、後期末から晩期初頭にかけての遺跡。埋甕・小竪穴・大溝などの遺構が見つかり、大溝からは多量の縄文土器・石器・土製品・玉類・種子などが出た。土偶・石柱・石棒・埋甕は、飛騨・北陸地方など東日本から伝播したもの、打製石斧・石皿・擦石・石包丁は農耕とかかわる石器、土製紡錘車は、紡織に関係する道具とされていて、そのつくり方は弥生期の紡錘車につながらないという。
【橿原遺跡】(奈良県畝傍町)、縄文晩期の東北地方でやたらと見つかる亀ケ岡式土器が橿原遺跡から大量に出た。一方、橿原で造られた縄文晩期の土器が東北南部から北九州にかけて出土する。
☆琉球諸島で採れる貝装飾品が北海道南部・三陸沿岸・霞ヶ浦、東京湾岸・渥美湾沿いから出る一方、新潟県糸魚川産のヒスイが北海道南部・東日本の後期遺跡や、近畿・九州・沖縄の晩期遺跡からも出た。

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