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zoom RSS 『邪馬台国三国志』古代史の常識と通説を疑え5〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉5

<<   作成日時 : 2014/08/21 06:50   >>

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‥‥厳之国王朝→越のオロチ族〓越王勾践の子孫、夏后帝小康庶子の末裔オロチ族2
Bその後、越オロチ族は、天之国が散々苦労して切り開いた曲り田・菜畑などの水田をことごとく没収するや、その面積を拡大して収穫増を図ったり、板付などの湿地帯を開墾するなどして越流米づくりに励んでいた。やがて国のかたちが整ってくると、厳之国と称しながらオロチを祖霊の再来として崇める先祖祭祀に入れ込んでいた。
彼らは天之国や中つ国の住民らに生命の安全や生活の糧を保証する代わりに、手足のごとくこき使ってあちこちに水田を切り開く一方、瀬戸内沿岸・四国・山陰に大軍を送り込んでは支配地を押し広げた。ついで摂津・奈良盆地・近江盆地、ついで出雲・北陸・東海に攻め入って水田稲作を広めて回った。
その結果、板付遺跡・江道遺跡(岡山市)・牟礼遺跡(茨木市)・中西遺跡(奈良県御所市)・服部遺跡(滋賀県守山市)で、縄文晩期末の水田跡や水路・農具・炭化米が出たり、越のオロチ族が摂津(小千氏)・奈良盆地(三輪氏)・出雲(佐太国)・北陸に割拠したりして、北陸地方が越の国と呼ばれるに至った。その領域は縄文晩期末に、北陸から東海にかけて広まる突帯文系土器の分布地とも重なる。
【菜畑遺跡】、弥生前期初め(板付T式、倭国王朝期)の水田跡下層から、縄文晩期末の夜臼式突帯文系土器・石器類・有柄石剣・生活器具などが出た。そこでは、よく整備された水田に苗を植え、江南と同じような木製農具を使って田を耕し、さらに収穫米を臼と杵で脱穀して高床倉庫に保管していた。高床倉庫も典型的な南方系建物だ。これと同じ農耕技術は、前三○○○年頃から長江中・下流域に根づいていた。
【曲り田遺跡】、山ノ寺式土器層の上層から出た石器類は縄文晩期のものだが、弥生期の石器と同類とされ、石製・土製の紡錘車も弥生期のそれにつながるという。土器類については、縄文期になかった壷や高坏がある一方、縄文文化を特徴づける深鉢は出てこない。壷は弥生式土器につながる大型でかつ丹塗り・研磨されたものが多数あり、石器とともに夜臼式期にあたる。
【板付遺跡】、弥生前期初めの水田跡を掘り下げたところから、夜臼式期の突帯文系土器や水田跡が出た。用水路・井堰・畦を伴っていて、水路からは諸手鍬、水田からも石鎌・炭化米が出土した。前四世紀のもの。銅剣も出た。
【津島・江道遺跡】(岡山市)、津島岡大遺跡では広範囲にわたって二三○○年前の水田跡が出た。江道でも、縄文時代の終わり頃から水田稲作が始まったとされる。
【中西遺跡】(奈良県御所市)、近年、二四○○年前の水田跡が約九千平方bにわたって出た。これまで確認された水田跡面積とあわせると、約二万平方bに及び、この時期では最大。
【服部遺跡】(滋賀県守山市)、近畿地方で始めての発見となった約二三〇〇年前の水田跡は、農道や排水路を備える本格的なものだった。

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