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zoom RSS 『邪馬台国三国志』古代史の常識と通説を疑え14〈『後漢書』の倭奴国/金印「漢委奴国王」〉2

<<   作成日時 : 2014/08/30 07:03   >>

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‥‥『後漢書』「本紀」・「倭伝」の倭奴国→倭国+中つ国。金印の委奴国→委奴(いつ)国と読めば伊都国。委奴(いど)国と読めば伊都国+豊葦原中つ国。
D『漢書』「地理志」、「楽浪海中に東夷(倭人)あり、分たれて百余国となり、歳時を以て来たり、献じ見ゆ」にある東夷が、志賀島の金印とどのような関係にあったのか、これも見過ごせない。「地理志」のこの記述について、大方の見方は、
「当時、都市規模の小国が百余国も乱立していて、統一国家などなかった」とするが、この説はすこぶる疑問だ。
Eそもそも、倭や倭奴国の国のかたちについては、米づくりの始まる前五世紀まで遡って考えない限り、本当の姿など見えてこない。
☆戦国期の呉も越も中国の覇者を目指して北上し、あと一歩のところまで迫った。その児や孫の世代が日本列島に渡って来たのであるから、倭奴国が百余国の上に立って漢に使節を送ったとしても何の不思議もない。
F原点に返って考えると、金印の拝受は倭奴国が百余国を代表して漢に朝貢したこと以外に思い浮ばない。逆に漢の立場に立つと、倭の一国である奴国の王が礼を重ねて参内して来ても、銅印授与が分相応と見るはずだ。漢朝の威信をかけた外交の基本政策を破ってまでして、銅印を金印に代える事案があったのか。これについても、何の答えもない。
三宅氏はこの誤った考えのもとで、『後漢書』の倭奴国と金印「漢委奴国王」の奴国を同一視し、かつ奴国が福岡平野の儺県にあったと決め付けた上で、倭の奴の国王が漢に朝貢して金印を授かったとしている。
G倭の漢字は記紀に頻繁に登場するが、その訓みは何れもヤマトでしかない。前二世紀に始まる倭国の成り立ちは、周王朝の流れを汲む日高と天之国ががっちり組んだ体制、つまり高天なる国体にある。光武帝から金印を授かる時期でも、伊都国や中つ国はこの国をどこまでも支える立場にあった。
これからすると金印の委奴は、委奴(いつ)と読めば伊都国、委奴(いど)と読めば伊都国+后土国と解せる。
『後漢書』の倭奴国についても、奴を奴(な)と読めば中つ国、奴(ど)国と読めば后土国〓月夜見国、闇見国、黄泉国を意味する。いずれも、豊葦原中つ国に通じている。
結局、どう転んでも、倭奴国〓倭国と奴国〓倭国と豊葦原中つ国という結論で落ち着く。便宜上、本書はこれをヤマトと訓んだ。
Hこれまでのことを総合すると、倭奴国が漢に使節を送ったことについては、疑問を挟む余地はない。しかし、その使節たる太夫は倭奴国王その人でなく、伊都国に関係する大物だったが故に、金印に委奴国王と刻まれたのではなかろうか。

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