『邪馬台(やまと)三国志』を検証してみよう

アクセスカウンタ

zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え51〈素戔嗚と大己貴と猿田彦〉

<<   作成日時 : 2014/10/15 11:57   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

‥‥素戔嗚彦→出雲の熊野に拠点を構え、熊野櫛御気野と語る。
熊野櫛御気野→天照大神と素戔嗚の二人が存在
素戔嗚嫡子の八嶋手(やしまで)→佐太国の嫡子となり、大己貴と称した。
佐太国嫡子の佐太彦(佐ル太彦)→素戔嗚の嫡子となり、猿田彦と呼ばれる。
@こうして、素戔嗚は熊野櫛御気野の名も手にして、出雲平野の攻略に乗り出した。その結果、熊野櫛御気野と名のる人物が二人も存在する事態となった。
☆素戔嗚夫婦が住んだ熊野は、天狗山(古代の熊野山)北麓にある。そこには、熊野大社(松江市八雲町熊野)が鎮座して、伊奘諾の真名子・熊野大神櫛御気野命を素戔嗚として祀る。
☆熊野大社で毎年十月十五日に行われる鑽火祭(きりびまつり)は、出雲大社の宮司が古伝の新嘗祭に用いる燧臼、燧杵を受け取るため、餅を持って熊野大社を訪れる神事だ。対応に当たる亀太夫は、出雲大社の納める餅の出来ばえについて口やかましく苦情を言い立てることで、亀太夫神事と呼ばれてきた。
☆これから、出雲日隈が熊野山(天狗山)を神奈備山として、意宇平野に割拠していたことや、素戔嗚が出雲日隈・豊国・中つ国を切り取ったことが読み取れる。
A一九○年過ぎ、素戔嗚は櫛稲田姫を娶って、嫡子の八嶋手をこしらえた。
その後の素戔嗚は力を尽くしたものの、豊葦原中つ国の建て直しに至らなかった。そこで彼は、人を損なうことなく出雲全体を掌握する手立てはないものかと思案しつつ、敵の佐太国と粘り強く交渉していた。その結果、
「互いの嫡子を交換して、先ず素戔嗚が豊葦原中つ国の大国主に立ち、佐太国から迎えた皇子が素戔嗚の跡を継ぐ」という和議に漕ぎつけた。
こうして、八嶋手は素戔嗚の家から出て佐太国の嫡子となり、大己貴と称した。一方、潜戸で誕生した佐太国の嫡子・佐太彦が、サル彦八嶋野とも猿田彦とも語って素戔嗚の養子に入った。サル彦八嶋野の名は、佐太彦が八嶋手となった経緯を伝えている。
『古事記』、「その櫛稲田姫をもちて、隠所を起こして、生める神の名は、八島士奴美(やしまじぬみ)神と謂う」
『日本書紀』、「(素戔嗚)、遂に出雲の清地(すが、須賀)に到ります。彼処に宮を建つ」、
「然して後に、素戔嗚尊、櫛稲田姫に生ませたまえる児を大己貴と号す。・・熊成峯に居しまして、遂に根国に入りましき」、
「素戔嗚尊、櫛稲田姫を見して奇御戸(くみど)を起して生める児を、清の湯山主三名(すがのゆやまぬしみな)狭漏彦八島篠(さるひこやしましの)と号(なづ)く」
☆須我神社(島根県雲南市大東町)は、須佐之男命・稲田比売命・狭漏彦八島野命を祭る。

ところがこの和議は、「姉上のかわいがる天神の御子に国譲りします」という日神との誓約はおろか、「豊葦原中つ国の女王に立った暁には、五十猛を婿に迎える」とする田心姫の想いまで踏みにじっていた。これがもとで、葦原中つ国の後継問題はもつれにもつれて二転三転することになる。

〈パブー〉から新発売
『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え(B6版298p、1200円)
〈アマゾンkindle〉から新発売 
『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語(B6版310p、1200円)
『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰(短縮編)(B6版201p、期間限定の540円)


〈パブー〉
『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語…最新版に改訂済
『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰(短縮編)…最新版に改訂済 
 期間限定の540円(定価の4割引)
『邪馬台三国志』全…最新版に改訂済
『邪馬台三国志』を検証してみよう

〈アマゾンkindle〉
『邪馬台三国志』上、下

〈楽天kobo〉
『邪馬台三国志』を検証してみよう

 ホームページ『邪馬台三国志』

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え51〈素戔嗚と大己貴と猿田彦〉 『邪馬台(やまと)三国志』を検証してみよう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる