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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え74〈蛭子〉

<<   作成日時 : 2014/11/25 06:52   >>

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‥‥日子が蛭子(ひるこ)、蛭子(えびす)と呼ばれて商売繁盛の神とされるのは、なぜか。
なぜ、八重事代主も商売繁盛の神なのか。
巨大化の一途をたどった近畿・東海の銅鐸が山中に埋められたのは、なぜか。いつの頃か。
@都には、仏教や神仙の道場も建てられていた。「倭人伝」にある楼観は、道教で言う布教所にあたるという。
さらに、定期的に市も開かれた。日子(蛭児)は市の繁栄に奮闘努力したことで、商売繁盛の神として称えられた。では、なぜ日子は蛭子(ひるこ)と書き改められ、しかも蛭子(えびす)と呼ばれたのか。なぜ天(厳)之事代主も八重事代主も商売繁盛の神なのか。これについて説明しておこう。
事の発端は、大乱直後に遡る。伊奘諾の嫡子・日子は、三輪オロチ族の許に送り込まれたことで、水神動物にちなむ蛭児(ひるこ、水蛭子)の名で親しまれた。一方、ヒミコの神託を取り次いだことで、天之事代主と呼ばれた。
Aそこで、商売繁盛の蛭子(えびす)についてだ。我が国の市が邪馬台時代に始まることは、「倭人伝」の示すところだ。桜井市三輪に恵比須神社が鎮座することも、箸墓辺りが大市と呼ばれたことも、邪馬台国の市がその近辺にあったが故だ。
Bその三輪家中にあって、山東由来の夷神を祖霊とする夷族は、市の繁盛に協力を惜しまなかっただけでなく、日子を夷の蛭児(ひるこ)、蛭子(えびす)と呼びながら夷神同様に崇拝してきた。八重事代主も、蛭子つまり天之事代主の亡き後、その地位と職務を引き継ぐことで、商売繁盛の神、厳之事代主と尊ばれた。
C大乱後、近畿から東海に至る銅鐸は巨大化の一途をたどった。それが突如として山中、土中に埋め捨てられた。その時期は、二二○年過ぎらしい。その経緯を綴ってみた。
「近畿・東海の大倭家一門は、大乱の土壇場になって天照大神方に寝返ったことで優遇され、好き勝手な銅鐸を造っては祭祀三昧に明け暮れていた。結果、近畿や東海の銅鐸は巨大化した。だが、ヒミコはこの国の心変わりを許さず、大神家が大倭家にとって代わることも認めた。
そのことで所領に戻った大倭家一門は、八咫鏡を祭壇中央に飾って祖霊と一緒に祀ってみたものの、銅鐸を祀り置く場所に戸惑っていた。銅鐸を丁重に扱おうものなら、八咫鏡を疎かにしたと猜疑される危惧があったからだ。それ故、銅鐸の埋め隠しに回った」

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