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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え79〈当時の大陸情勢〉1

<<   作成日時 : 2014/12/02 07:03   >>

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B二二九年、皇帝に立った呉の孫権は黄竜と改元して漢と盟約し、「両国が心を一つに合わせて、魏賊を討つ」と誓い合った。ついで建業(南京)に都して、蓬莱三島を探しにかかった。
『呉志』「陸遜伝」、「黄竜元年(二二九年)、孫権は軍の一部を割き、夷洲(台湾?)と珠崖(海南島)を奪うことについて陸遜に意見を求めた」
陸遜曰く、「珠崖の民は禽獣のごときもので、兵士の足しにはなりません」
『呉志』「孫権伝」、「黄竜二年(二三○年)春正月、孫権は将軍衛温と諸葛直とに兵一万をつけて、夷洲・亶洲を探索させた。亶洲は大海の中にあり、古老の伝えるには、『秦始皇帝が方士の徐福に童子・童女数千人を添えて東の海にやり、蓬莱の神仙郷や仙薬を探させたが、徐福たちはそこに留まったままで帰らなかった』」
☆二三二年三月、孫権は将軍周賀らに船百艘を授けて遼東に送ったが、周賀は九月に魏軍の襲撃に遭って斬り殺された。その十月、遼東の公孫淵が孫権に臣下を遣わし、配下に加わりたいと伝えてきた。
☆翌年三月、孫権は使者の張弥に兵一万をつけて遼東に遣り、公孫淵に燕王の位を授けてから魏に攻め込もうとした。ところが、公孫淵は張弥らを斬ってその首を魏に送りつけた。命からがら(高)句麗に逃げ落ちた別の使者は、句麗王に同じ詔を伝えるしかなかった。
公孫淵はこの功によって、魏から大司馬や楽浪公の位を授かったが、もとより信頼される人物ではなかった。魏は彼が二股をかけたことを知っていて、次の布告を出した。
『魏志』「公孫淵伝」、「遼東・玄菟郡(遼東の西)の将校と官民に告ぐ。・・ここ数年、孫権は南方から艦隊を繰り出して大海を渡り、数々の物資を運び込んでは辺境の民をたぶらかした。
呉の周賀らが船百艘に乗って渡し場に停泊した際も、辺境の民は彼に必要な物資を横流しした。官吏・役人もそれを咎めないどころか名馬などを引き渡し、呉に使者を遣ろうとまでした。魏の忠臣は遼東の賊が寝返って二心あることに憤慨している。」
☆孫権もまた、公孫淵の裏切りに激怒して自ら征伐に出向くと息巻いていたが、臣下に強く諌められた。翌年、呉から句麗に赴いた使者は、句麗が既に魏に服したと知って引き返そうとした。この時、句麗王はことの次第を説明して陳謝し、馬数百頭の献上を申し出たものの、呉の使者は船がさほど大きくないことを理由に、馬八十頭だけを積んで帰国した。

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