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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え103〈景行の熊襲征伐〉1

<<   作成日時 : 2014/12/30 07:08   >>

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‥‥景行の熊襲(〓日前の火火出見)征伐→二七○年代半ば過ぎ、豊国から南下
孝元の義弟・彦狭嶋→西南藩屏将軍として随伴
景行と彦狭嶋将軍→惨敗して、日向に六年間抑留
@暫くすると、これが饒速日の耳に入った。火火出見が三嶋流神国づくりに散々難癖をつけた上に、火瓊瓊杵一代限りの和王を語ったとあっては、自らの手で誅伐しなければならなかった。苛立ちぎみの饒速日は、
「今度こそ、火火出見を徹底的にやっつけてくれよう」
と気負い込むや、すぐさま景行を呼びつけた。
「先手を打って、南蛮に与する火火出見から日前の名を取り上げてしまえ。さすれば、奴らは熊襲か南蛮西戎でしかない。景行は南蛮西戎の征伐に赴き、三嶋流神国づくりをあげつらう熊襲どもを討ち果たして参れ」
饒速日はこう命じるなり、戦支度を急がせた。
A景行の動きも素早かった。彼は針間海道都督の彦狭嶋を征夷将軍に抜擢する一方、天皇と称することのできる倭王代理に東山道都督の成務を指名した。
竹内宿禰(大足彦の児)は若年ながら成務の大臣に抜擢されるや、それぞれの国に国造、その下に県主なる役職を置き、都督の命令一下、東山道が一丸となって大事に対処できる体制を立ち上げた。
『予章記』、「孝霊天皇の御子孝元天皇の御弟を彦狭嶋と称す。・・時に南蛮西戎の凶徒等動ずれば、蜂起するの間、皇子鎮護国家のために当国に止住し給うを、是故に伊予の皇子と号し、又西南藩屏将軍と宣下せらる」
B二七○年代半ば過ぎ、準備を万端整えた彦狭嶋は、義兄弟の吉備津彦・稚武彦に一切合切を任せて留守居役を命じると、西南征夷将軍として大軍ともども西海へと降って行った。これには、紀伊国造の珍彦も数多の軍船を連ねながら、後を追った。ついで景行率いる本軍がおっとりと出立した。
こうして、三十数年前に海幸彦(饒速日)と火火出見が引き起こし些細な兄弟喧嘩が、東西王朝の面子をかけて蒸し返された。
その年九月、景行は周防の佐波に到着した。海を隔てた豊国では、神夏磯(かんなつそ)媛なる女酋が男どもの上に立って曲がりなりにも国を治めていたが、最近では熊襲から押し入って来た頭目四人が荒くれどもを連れ回してあちこちの要害に屯し、農民から年貢をふんだくっては「日本に従う者は、斬り殺すぞ」と脅していた。
神夏磯媛は天皇の使者が大軍と共にやって来たと聞くや、日本に忠義を示す白旗を船首に掲げながら、根こそぎ引き抜いた榊に八握剣・八咫鏡を飾りつける礼まで尽くして使者の許に馳せ参じて来た。
「景行紀」、「十二年の秋七月に、熊襲反(そむ)きて朝貢(みつきたてまつ)らず。八月に筑紫に幸(いでま)す。九月に周芳(すわ)国の娑麼(さば)に到りたまう。」


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