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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え124〈熊野上陸〉1

<<   作成日時 : 2015/01/23 07:22   >>

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‥‥熊野神邑での熊と八咫烏の反目→南海道・東海道の所領争い
神邑の統治→熊から切り離して天香語山・八咫烏に移し、抱き込みを図る。
@暫くすると、大倭から繰り出してきた敵の大軍が和歌浦に駆けつけたが、そこはもぬけの殻だった。その頃、磐余彦の船団は潮岬沖を回って熊野村の西端、神邑(みわむら、那智)の聖地へ急いでいた。同じ頃、御坊に引き下がっていた神功軍・武甕雷軍・騎馬軍団は、陣中に日矛を高々と掲げながら、
「熊らが祖霊(日矛)を踏み倒してでも押し通るなら、熊野櫛御気野に代わって成敗してくれる」
と自信たっぷりに待ち構えていた。
この数日後、磐余彦は山中に光輝く物体を見つけて、それが那智の大滝と知らされると、直ちに上陸を命じた。数時間後、新宮の浜辺は東征軍の将兵たちで埋め尽くされ、磐余彦は戦勝祈願も兼ねて神倉山の頂きを目指していた。そこにはかつて、伊奘諾と熊野櫛御気野の御魂が祀られていた。
そこの祭場で、磐余彦は兄の三毛入野・稲飯、東海道都督の天香語山に対して、天村雲(天香語山の児)・天日別(磯部一門)率いる軍団や水軍をごっそり与えた上で、大仕事を頼み入れていた。
「渡会宮に坐します天璽の鏡を奪うと同時に、常世の志摩・伊勢をくまなく切り取ってほしい。然る後に、天日別は日本との国境に張りつき、敵兵の逃亡を阻止するように。天村雲(天香語山の児)は父に代わって東海道軍を率いて美嚢に繰り出し、東山道をひた走って上洛しようとする東国勢を押し戻せ。この役目を果たさば、祖父(饒速日)の命を救うことになろう」
この別働隊は荒れ狂う熊野灘に乗り出すと、暗夜を選んでは少しずつ北進した。その用心深さが効を奏したのか、敵に悟られることもなく志摩に近づくことができた。
Aところで熊野村(紀伊国牟婁郡、現在の熊野と那智)の統治をめぐっては、熊と八咫烏が長年に渡って対立していた。ことの発端は、大乱前に遡る。かつて、熊野櫛御気野は仏陀の心でもって熊野を鎮撫して回り、八咫烏に対しても心底信頼して自治を黙認してきた。八咫烏らもこれに恩義を感じて、一途になついてきた。
その後のヒミコは素戔嗚に熊野櫛御気野の名を許し、五十猛に対しても熊野家本家と印す日矛を授与して、紀伊・熊野を統治させてきた。このことで、五十猛は八咫烏らに向かって、
「日矛に宿る熊野櫛御気野の御霊とは、素戔嗚のことだ。ここ熊野にあっては、素戔嗚を熊野櫛御気野として、ついで牛頭天王として祀れ。当然のことながら、我々を主人として厚く敬え」
と強要してきた。だが、当の八咫烏らは、
「我々は徐福以来この地に住みつき、熊野櫛御気野からは将来に渡って自治を黙認されてきた。だから、彼以外の熊野櫛御気野など考えたくもない。新たな支配者も必要のないことだ。それに、仏の教えを真っ先に説いて牛頭天王と語ったのは皇太神ではなかったのか」
と猛反発して、何事につけ熊らと対立してきた。やがて、両者の確執は意地も絡んで険悪になった。

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