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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え107〈仲哀の熊襲征伐〉1

<<   作成日時 : 2015/01/03 07:09   >>

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‥‥仲哀の熊襲(〓磐余彦)征伐→西海道の都督として橿日宮(西海道の都)から出撃
日本武・大神武甕雷、吉備津彦・稚武彦の兄弟、神功皇后・武振熊・竹内宿禰も従軍
@二八三年に、成務が急逝した。饒速日は天皇と語れる都督に、南海道・北陸道の都督を兼務する仲哀を抜擢した。この時期、垂仁・景行・仲哀がそろって天皇と称したことになる。
饒速日が仲哀を引き立てたには、二つの理由があった。一つは景行の惨敗にも関わらず、仲哀にも熊襲征伐の重責を背負わせることにあった。いま一つは、四代目ヒミコの婿に立てることだった。現に、仲哀は即位翌年の正月に、十七、八歳の眉目麗しい乙女となった気長足姫を妃に迎えた。後世、神功皇后と呼ばれる女性だ。
そうした中で、竹内宿禰が一年半ぶりに帰国して、父の景行に進言した。
「日高見勢は北上川一帯(仙台平野)に広大な国土を構えております。国を守るのは、体中に入れ墨した勇猛果敢な蝦夷どもですが、彼らは実直を尊ぶあまり謀が大の苦手です。策を仕掛けて攻め込むなら、簡単に討ちとることができましょう」
「景行紀」、「竹内宿禰、東(あづま)国より還(かえりもうさ)て奏(もう)して言(もう)さく、『東の夷(ひな)の中に、日高見国有り。其の国の人、男女並に椎結(かみをわ)け身を文(もどろ)けて、為人(ひととなり)勇(いさ)み悍(こわ)し。是を総(すべ)て蝦夷と曰う。亦土地(くに)沃壌(こ)えて曠(ひろ)し。撃ちて取りつべし』ともうす。」
Aところが春三月になると、西海から火急の知らせが飛び込んできた。
「磐余彦が、東征を急ぎ始めた」というのだ。それからの饒速日と景行は、戦支度にのめり込んだ。二人は日夜協議を重ねた結果、次の点で一致をみた。
「この度の熊襲征伐では兵の数をうんと増やし、各隊ともあり余るほどの物資を持参させよう。その上で、熊襲どもが目の当たりにすると、ひれ伏すしかない日矛も奉じて参るのだ」
二人は、大己貴が十握剣にひれ伏した時の様子を思い浮かべながら作戦をつめていた。
「火火出見の跡継(磐余彦)も、日本自慢の三嶋流神国づくりをけなした上に、勝手に和王と称して貢ぎ物も寄こさない。これは大己貴が熊野姓を語った際とそっくりだ。かつて、ヒミコと高木神は、大己貴の傍若無人な振舞いに立腹して征伐なされた。今回の件もこれに照らすと、和王と語る熊襲の頭目を征伐すべしと受け止めてよかろう」
饒速日はこう決めつけると、仲哀、小碓(おうす、景行皇子の日本武)、それに饒速日の孫らを召し出した。
「このたびの役目を果たせるのは、仲哀と神功をおいて他にいない。仲哀は西海道都督となって橿日(福岡市)に副都を築き、熊襲どもを征伐して参れ。小碓は仲哀にどこまでも尽くせ」

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