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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え145〈大和朝廷のはじまり〉1

<<   作成日時 : 2015/02/17 06:42   >>

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‥‥橿原宮の完成→四世紀初頭
皇天に二つの誓い→@辛酉年元旦に、大和朝廷の建国の儀と即位式を行う。
A倭を一家にまとめる、太子を決め直す、垂仁の神璽を後世に伝える、皇天二神の御陵を築き皇祖皇宗に奉る、あわせて宗廟を建てるなど、五つの仕事を成し遂げる。
大倭の地→大和と改名
神功皇子・気比大神・開化皇子・新羅王子・磐余彦の児→互いに名前を交換
饒速日末裔の物部氏→海幸彦の誓約遵守に加え、十握剣を押し付けられて朝廷の軍事筆頭職に就任
@橿原宮は着工から一年以上が過ぎて、漸くその形が整ってきた。そこで、磐余彦は宮殿近くに檜御柱(神籬)を建立して、皇天(あまつかみ、日神と高皇産霊)に対して二つの誓いを立てた。
一、辛酉年(三○一年)元旦に盛大な都開きを催すとともに、大和朝廷の建国の儀と即位式を行う。
一、倭を一家にまとめる、太子を決め直す、皇天を称えて壮大な御陵を築く、常世の伊勢に宗廟を設けて皇天二神を日天神としてお祀りするなど、五つの仕事を儀式までに片付けるか、形づくりを整えておく。
☆磐余彦が神籬を立て、日神と高皇産霊を祀ったことは、『古語拾遺』にある。
「皇天二柱の祖(みおや)の詔に従いて、神籬(ひもろぎ)を建つ。・・」
この後、彼は「天下は一つ、家は一つ」の合言葉の下で、この準備に取りかかった。それと同時に、「和家と(豊)葦原中つ国は、日本家・大日本家・厳之国も抱え込んで大和(ヤマト)家を共立する。その証として、大倭の地を大和と改める」と布告した。この四家の者は大和朝廷を支える立場にそろって身を移すと、過去の争いの原因が皇家の分裂にあったと今更のように思い知った。そしてこうも考えた。
「倭が一系を保っていたなら、大乱など起ころうはずがなかった。将来のことを考えると、歴史を塗り変えてでも身内の争いなど無かったことにした方が賢い」と。
いつの世のことか、この願望が募ったあまり、歴史の改ざんが謀られた。即ち、同時期に並立する九州の倭(和)、出雲の(豊)葦原中つ国、畿内の日本家・大日本家の家記が、縦一直線に結ばれたのだ。結果、伊奘諾・日神・大己貴から磐余彦に至る歴史が神代に追いやられた。記紀のよりどころだった帝紀・旧辞や各家の記録も万世一系のごとく塗り替えられたのは、応神期に違いない。

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