『邪馬台(やまと)三国志』を検証してみよう

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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え148〈宗廟の創建〉

<<   作成日時 : 2015/02/20 06:56   >>

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‥‥宗廟の地→伊勢の五十鈴川川上
B五つ目の仕事は、日神と高皇産霊を伊勢で祭祀することだ。彼は渡会宮(磯宮)のすぐ南に檜御柱を立て、その真上に祭殿を建立して天照御魂神(真経津鏡)を奉祭すると、天富(あめのとみ、太玉子孫の斎部)を宮司(みやづかさ)として檜御柱の許で厳粛な儀式をとり行った。その形は、日神が高皇産霊の再来を祈っているかのごとくに見えた。もちろん、従来の五十鈴宮での祭祀も、ひっそりとではあるが継続されていた。
ところで、ヒミコが伊勢二見の地で倭姫に託した例の、「豊受姫と豊受大神(豊受皇太神)御霊を伊勢に呼び寄せ、一緒に祀れるようにして欲しい」という願いは、どうなったのか。
これは後世の雄略天皇によって実現された。
☆伊勢神宮の内宮正殿の床下には、心御柱と呼ばれる長さ五尺程の檜の柱が据えられている。その半分は地中に埋まり、残る半分は地上に顔を出していて、建物構造とは無縁の柱となっている。古書によると、「柱は五色の布と榊で覆われ、周りに八百枚の皿土器が積み重ねられている」という。この柱は心霊の寄りつく所とされ、神宮の最も重要な秘儀がこの柱に対して行われる。
☆荒祭宮(天照大神荒御魂を祀る)では、神がかりする瀬織津姫が祀られているとの噂が絶えない。彼女は、伊雑宮にあって天照大神に仕えたとされる。
C月日が流れて即位式が間近に迫ると、道臣は久米兵を指揮して、宮殿御門の開閉とともに宮殿周辺に昼も夜も目を光らせていた。そうした中で、磐余彦は太子の御間城入彦(崇神)に対して、
「草薙剣と天照御魂神を型にとって、新たな神璽を石凝姥・天目一箇の子孫に造らしめるように」
と命じた。二つの神璽は、日神と高皇産霊の威光をそなえる天璽の分霊であり、この二つが揃うことで日神夫妻を具現することになる。磐余彦はこれを手本として、和(ヤマト)や邪馬台国の子孫に一致団結を促し、武人に争いごとを戒め、男女には夫婦和合を説こうとしたらしい。

◇開化皇子・神功三男(磐余彦の児)・神功次男(仲哀の児)・気比大神・新羅王子の五人
→互いの名を交換
◇開化皇子→太子(崇神)、神功三男→次の太子(応神)、神功次男→神託どおり新羅王
◇騎馬軍団と共に渡来する新羅王子→応神直臣の橘氏
◇(火明)饒速日の児・可美真手→物部氏
◇神功→仲哀皇后から磐余彦妃に転身
◇この物語に登場する人物→本書の王系譜どおり
以上、ホームページの〈本書の王系譜2〉で、検証することができます。
http://www2h.biglobe.ne.jp/~aoitaka/awebkeizu2.pdf
この王系譜は、海部氏系図(国宝)の本系図とも勘注系図とも合致しています。
☆本系図の始祖彦火明命〓天火明(天孫)、勘注系図の始祖彦火明命〓(火明)饒速日

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