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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え150〈皇祖皇宗の祭祀〉1

<<   作成日時 : 2015/02/22 06:39   >>

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‥‥皇祖皇宗の祭祀→鳥見山北麓の桜井茶臼山古墳で封禅さながらに郊祭して皇天二神を天に配し、皇祖皇宗に奉る。
祭祀の式日→神武四年(三○四年)の春二月二十三日(桃の咲く頃)
儀式の拠りどころ→五帝期の封禅、周礼、光武帝による封禅や郊祭
@月日が流れて、ヒミコの墓(箸墓古墳)がバチ形の前方後円墳に様変わりすると、神武はそこに祭場を設けて、厳かな儀式に臨んだ。まず女王トヨの亡き骸をホケノ山古墳から掘り出して方墳のバチ形部に再葬した後、二重口縁壷や花なども供えながら女王トヨの冥福を祈った。
三○四年の春二月二十三日(桃の咲く頃)、上之宮(笠縫邑)南方の鳥見山山中に皇天二神(日神と高皇産霊)の御陵が完成すると、神武はその円墳上に霊畤(まつりのにわ、天地五帝の神霊を祭る霊廟)を造営して、高皇産霊に代わって郊祭に臨んだ。すなわち、箸墓円墳に眠るヒミコ御霊を日神御魂に蘇らせた上で霊畤に移し祭るとともに、纏向石塚古墳に眠る天照大神御霊を高皇産霊御魂として招来し、共に天(日天神)に配したのだ。
その間、猿女君らが神楽を舞う中で、天富が祝詞を長々と奏上していた。ついで、神武は神璽の鏡剣を捧げ持って皇天二神の再来を願いつつ、お礼の言葉と決意を申し述べた。
「我が皇祖(みおや)の御魂は、日の光となって天より降り賜い、私の身を金色の光で照らして加護して下さった。今、数々の敵を平定して、天下も平穏に治まっております。そこで天に配してお郊祭(まつ)りし、その教えるところに永久に従いたいと誓った次第です」
つまり、神武は高皇産霊が封禅を成したとしても道理に適うと見て、彼に代わって柴を勢いよく燃やす中で封禅さながらに郊祭し、その高煙が天に通じたところでお礼の言葉を申し述べるとともに、皇天二神を天に配して皇祖皇宗に奉ったのだ。加えて、天照御魂神(真経津鏡)および草薙剣を二神の天璽と定め直したことや、若かりし頃の豊受皇太神を農耕神に列して、秋になると新穀を捧げることもお知らせした。
「神武紀」、「我が皇祖の霊(みたま)、天より降りみて、わが身を光(てら)し助けたまえり。今、諸の虜(あたども)すでに平(む)けて海内(あめのした)事無し。以て天神を郊祀りて、用て大孝(皇天にしたがうこと)を申べたまうべし」、
「霊畤を鳥見山の中に立てて、皇祖天神を祭りたまう」
『古語拾遺』(忌部氏家記)、「霊畤を鳥見山の中に立つ。天富命、幣(みてぐら)を陳(つら)ねて祝詞して皇天を禋祀(まつ)り、群望(くにつかみ)を遍祑(まつ)りて」、
「聖皇(天皇)の登極(天つ日継ぎしろしめ)して、終(おわり)を父祖(おおおや)に受けたまい、上帝(あまつかみ、五帝)を類(まつ)り、六宗を禋(まつ)り、山河を望(まつ)り、群神を偏(まつ)りたまう。然れば、天照大神(日神と高皇産霊)はこれ祖(おや)これ宗(きみ)、尊きことならび無し」


◇大和朝廷成立までの経緯は、ホームページの〈王朝の変遷2/年表〉
http://www2h.biglobe.ne.jp/~aoitaka/aweboocho2.pdf
もご覧ください。
◇ヒミコの墓が移り変わる様子については、パブーの電子書籍〈箸墓古墳の変遷〉(無料)
http://p.booklog.jp/book/50273/read
にまとめて掲載しています。

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