【伊勢神宮の祭祀変遷】
<<
作成日時 : 2018/07/01 08:11
>>
ブログ気持玉 0 /
トラックバック 0 /
コメント 0
伊勢神宮の祭祀変遷/天璽の鏡・剣の変転
この物語の締めくくりとして、伊勢神宮の祭祀変遷、天璽の鏡・剣の変転についてまとめた。この物語と見比べていただきたい。

『古語拾遺』「崇神天皇」、「倭の笠縫邑に就きて、殊に磯城の神籬を立てて、天照大神及草薙剣を遷し奉りて、皇女豊鍬入姫命をして斎い奉らしむ」
「垂仁紀」、「天照大神を豊耜入姫命より離ちまつりて、倭姫命に託けたまふ。ここに倭姫命、大神を鎮め坐させむ処を求めて、菟田の筱幡に詣る。さらに還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて伊勢国に到る。時に天照大神(天照大御神)、倭姫命に誨えて曰わく、『この神風の伊勢国は、常世の波の重浪帰する国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむと欲う』
故、大神の教の随にその社を伊勢の国に立つ。因りて斎宮を五十鈴川の川上に興つ。是を磯宮という。則ち天照大神の初めて天より降ります処なり」
☆伊勢神宮の内宮正殿の床下には、心御柱と呼ばれる長さ五尺程の檜の柱が据えられている。その半分は地中に埋まり、残る半分は地上に顔を出していて、建物構造とは無縁の柱だ。
古書によると、「柱は五色の布と榊で覆われ、周りに八百枚の皿土器が積み重ねられている」という。それは心霊の寄りつく所とされ、神宮の最も重要な秘儀が柱に対して行われる。
これ即ち、天照大御神が檜の柱(天照皇太神、天照大神、高皇産霊の神籬)の許に跪きつつ、ひたすら再来を祈願している姿を再現しているのだ。
「景行紀」、「日本武尊、(東国平定に)発路したまう。道をよぎりて伊勢神宮を拝む。・・ここに、倭姫命、草薙剣を取りて、日本武尊に授けて曰わく、『慎め。な怠りそ』とのたまう」、
「(駿河で野火に囲まれた際)、王(日本武尊)のはかせる剣、藂雲(叢雲)、自らぬけて王の傍らの草を薙ぎはらう。・・故、其の剣を号けて草薙と曰うという。」
☆外宮の由来を伝える『止由気宮儀式帳』、「雄略天皇は天照大神の夢の教えに従い、丹波国(古代には丹後も含む)比治の真奈井に坐す御饌津神(豊受皇太神)を伊勢山田の地に遷し、立派な神殿を造って祀られた」
|
');
function google_ad_request_done(google_ads) {
var i;
if( google_ads[0] ){
document.write("
");
document.write("
");
document.write("
");
document.write("
");
}
}
// -->