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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え39〈熊曾(熊襲)〉1

<<   作成日時 : 2014/10/01 06:51   >>

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‥‥熊曾(熊襲)の遠祖→那珂つ国時代の熊族  
@前四三〇〇年頃、日本列島に渡来した黄帝一門は、福岡平野に都する神仙の国(神国)・那珂つ国を立ち上げるや、東西南北四方に忠臣の四カ国を配置して国邑を守ってきた。
その四カ国とは、土の神を称えて后土末裔と自負する北の黄泉国 (鬼国、闇見国、宗像・玄海から博多湾・玄界島に至る玄界灘沿岸)、
同じく、地の神を祀って黄帝一門と称する東の杵築国(大分県)、
火神を奉って炎帝子孫と語る南方の火の国・その配下の熊族(熊本平野以南)、そして水の神を信奉する西の海神国(筑紫平野)だった。
A前五世紀、呉の太伯ら子孫が大挙して琉球諸島沿いに北上し、島原半島や有明海沿岸にたどり着くらしい。彼らは菜畑や曲り田などの湿地帯に分け入って水田稲作に励む一方、祖霊が天に昇って太陽(日)になったと信じて先祖祭祀に入れ込んでいた。いつの頃か天之国と称して、日の鏡三面でもって祖霊を日の神として奉っていた。そうする中で、熊本平野の熊族が擦り寄ってきたことで、福岡平野の那珂つ国に少しずつ近づいていった。
那珂つ国がこのよそ者にどう反応したかは知る由もないが、中国神話や考古学から推察する限りでは、以下のところに行き着いた模様だ。
「天地開闢の神話にあるごとく、天之国と連携した天地なる国体の下で、東の縄文勢にあたるのが古から伝わる正道だ」
B前三三四年ころ、今度は越が楚に滅ぼされた。越王は禹や夏后帝小康の末裔とされる。この時期に長江、淮河流域、斉に広がっていた越人や、その配下のワニ族・カモ族らは、楚の迫害を恐れるあまり、北の遼東や朝鮮に逃げ込むらしい。
そうした中で、越の本家筋一門が琉球諸島沿いに北上して薩摩半島に襲来するや、不知火海・八代海沿いに北上した。ついで筑紫平野を席巻し、那珂つ国が都する福岡平野に押し入った。
これに対して、那珂つ国や天之国がどう立ち回ったかについては確証はないが、地名・考古学・後世の祭器の有り様から推測すると、以下のところに行き着いたようだ。
「那珂つ国と天之国の連合軍はあっさりと負けてしまい、那珂つ国は闇見国や杵築国とともに辺境の出雲に追いやられ、国の名も中つ国と改名させられた。一方の天之国は配下に組み込まれた上に、越流米づくりを強いられてきた」
その際、那珂つ国に長年仕えてきた海神族や火の国は、敵にこそ回らなかったが、洞ヶ峠を決め込んだまま動こうともしなかった。天之国の配下にあった熊族は、またも寝返って越オロチ族の旗下に走り、那珂つ国・天之国・火の国に襲いかかった。勝利した彼らは、那珂つ国から熊の神籬を取り返した上に、玉三つ(羽太の玉一・足高の玉一・うかかの赤石の玉一)を奪い、天之国からも日の鏡一面をもぎ取って熊族神宝として奉ってきた。

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