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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え70〈日神の畿内遷座〉2

<<   作成日時 : 2014/11/19 07:03   >>

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‥‥五十猛(天日槍)→紀伊秋月で、出雲日隈を熊野家本家として再興
結局、日隈は日前鏡を奉る日前(熊襲)、日矛を祀る紀伊熊野家(熊)の二家が並立
Bそれまでの纏向の都は、西は石塚古墳辺りから東は巻向駅周辺にかけての一帯、つまり庄内式土器の遺構が多数出る東田・太田・巻野内西部に限られたが、このたびの新都造営によって、勝山古墳・東田大塚古墳・箸墓古墳、珠城山・穴師をすっぽり包み込むほどに広がった。
上之宮と呼ばれた彼女の宮殿も、上ツ道沿いの辻・巻野内(巻向駅のすぐ北)辺りに築かれた。
暫くすると、丹後に滞在する日神と素戔嗚も、宮津を発った。日神は大葬の日までに舅姑に縁ある土地で御霊を慰めておきたいと念じたのか、西宮から淡路島に回って伊奘諾の幽れの宮を訪ねた。ついで由良から加太半島に渡って名草浜(和歌山市)へ向かった。
Cその頃、天日槍(五十猛)は大勢の匠らと一緒に名草に寝泊りしながら、漸くのこと、浜の宮落成に漕ぎつけていた。日神と素戔嗚は、そこに着くなり詔した。
一、素戔嗚や大己貴が出雲で興した熊野家(出雲日隈)を紀伊秋月の地で、熊野家本家として再興するがよい。紀伊・熊野に散らばる大山祇族や熊野家の一門もそっくり束ねるように。
一、この約定の印しとして近々に、日矛、日の鏡など日隈神宝を授けよう。
一、当地で誉れ高い大屋彦を襲名するように。
結局、日隈は日前鏡を奉祭する南国の日前(熊襲とも呼ぶ)、それに日矛を祀る紀伊熊野家(以後、熊とも呼ぶ)の二家が並び立ったことになる。
その後、日神らは浜の宮にしばらく滞在した後、五十猛の道案内で熊野へ向かった。彼女は夫や舅姑の故地を訪ね歩き、花の窟では姑の霊前に花をそえる準備も着々と進めていた。

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