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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え95〈一都七道制の実施〉

<<   作成日時 : 2014/12/20 07:20   >>

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‥‥〈一都七道制の実施〉日子坐王とその児・彦湯産隅→丹波道都督(道主)となり、宮津に都す。誉津別→北陸道都督に就き、若狭国小浜に都す。大足彦(景行)→南海道都督に昇り、紀伊に赴任
饒速日の児・天香語山→東海道都督。トヨの兄・豊城入彦→東山道都督となって近江に都す。 
@饒速日は御陵の件に一通りのケリをつけると、大己貴に天下を治める国づくりを命じた。数ヶ月後、大己貴は主人やヒミコの意向を推し量りつつ、大神家と大日本家が結束して日本王朝を支える体制を立ち上げるや、自ら最高職に踏み留まっていた。
その天下の国づくりとは、畿内や大倭国(奈良盆地)を取り囲む形で、西海道・山陽道(西道)・山陰道(丹波道)・北陸道(越の道)・東山道・東海道(東の方の十二国)・南海道など七道に区分してそれぞれに都督(かみ、道主)を置き、連邦制のごとく統治することにあった。
詳しく言うと、西海道には筑紫島全域が、山陽道には瀬戸内海沿いの播磨から長門までが、丹波道には丹後から西方の日本海沿いが、北陸道には若狭から越国にかけてが組み込まれた。
東山道には近江・美濃・飛騨・信濃・甲斐・上野・下野など、また東海道には熊野東部・志摩・伊勢・三河・遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総などが編入された。南海道には四国・紀伊・熊野西部が割り当てられた。
Aこの体制下で、大日本王孝霊が大倭都督を拝命して黒田(田原本町)に都を定めた。日子坐王とその児・彦湯産隅は世襲できる丹波道主となって丹後宮津に、饒速日の児・天香語山も東海道都督を拝命して大倭との国境(名張辺りか)に都していた。廃嫡の憂き目にあった誉津別は、北陸道都督に昇って若狭国気比に住みついた。ついでトヨの兄・豊城入彦が東山道都督となって、近江盆地の一角に都を構えた。都督の中には大日本王のごとく、饒速日を補佐して天皇(スメラミコト)と呼ばれる御仁もいた。
☆後世、豊城入彦の孫やひ孫も東山道都督を拝命することになる。
「景行紀」、「五十五年の春二月に、彦狭嶋王を以て、東山道の十五国の都督に拝(つ)けたまう。是豊城命の孫なり。然して春日の穴咋邑に到りて。病に臥しみまかりぬ。・・
五十六年の秋八月に、御ゥ別(みもろわけ)王に詔して曰わく、『汝が父彦狭嶋王、任(ことよ)さす所に向(まか)ること得ずして早くみまかりぬ。故、汝専東国を領(おさ)めよ』とのたまう。」

Bこの頃になると、太子の候補は弟の方が有望になってきた。孝霊の嫡子・孝元に養子入りした弟は、孝元実子で若くして逝った太忍信(おしふつのまこと)の名を継ぐや、彦狭嶋(ひこさしま、孝霊の養子)からみっちりと帝王教育を受けていた。それ故、大足彦とも彦太忍信とも呼ばれた。
その大足彦が遅まきながら、南海道都督となって紀伊国に赴任して行った。彼はそこで家主忍男武雄心も襲名すると、紀伊国造の菟道彦(珍彦)の妹・影姫を娶って竹内宿禰をこしらえた。
Cついで饒速日は、母方の外戚で日向から共に天降ってきた溝クイ耳を三嶋鴨族の長に引き上げ、攝津と播磨を任せきった。その後の溝クイ耳は、太田郷(高槻・茨木市)に豪華な館を建て並べ、並み居る高官らに三嶋流神国づくりを手ほどきしていた。

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