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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え143〈日本武の北伐〉4

<<   作成日時 : 2015/02/16 06:44   >>

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E任務を果たして帰途についた日本武は、碓氷峠を越えて甲斐(山梨県)や信濃(長野県)も鎮めて回った。尾張に戻った彼は真っ先に宮ス姫の家に駆けつけ、天鹿児山の霊前で結婚式を挙げたのだった。
月日がたって、彼は伊吹山になおも賊が隠れ潜むと聞くや、居ても立ってもいられなくなったのか、討ちとる決意を固めると同時に、妻に次の言葉と草薙剣を託して出かけた。
「私が留守の間、姫はこの剣で高皇産霊に武運を祈りながら、そのつど私を思い出しておくれ」
日本武は賊を討ち果たそうと伊吹山に登って行ったが、そこで硫黄ガスに包まれたのか、はたまた敵のワナに嵌められたのか、妖しげな病に取りつかれた。
彼は急いで都に戻ろうとしたが、途中の能褒野(のぼの、三重県鈴鹿)で動けなくなった。そこで死を予感した彼は、すぐさま吉備武彦を都に遣って景行に最期の言葉を伝えさせた。
「私が詔を賜って北に赴いたところ、まつろわぬ蝦夷らも剣の威光にふれて帰順して参りました。そこで、身にまとっていた鎧を巻き、戈をおさめて帰路につきましたが、途中で逆らう者どもに足止めされ、今日まで時間を費やしてしまいました。
早くご報告したい一心でおりましたが、今は能褒野に伏して余命いくばくもありません。この鎧と刀、それに使いの者が私に代わって、ご報告申し上げることでしょう。今の私の想いは、この歌に託してあります。
 倭は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 倭しうるわし
彼は十六歳で初陣して以来、残りの人生を東征軍と共に過ごしてきた。わずか三十歳で逝ったその屍は能褒野に葬られた後に、白鳥となって都の方角に飛び去ったという。
「景行紀」、「因りて吉備武彦を遣(まだ)して、天皇に奏して曰したまわく、『臣(やつかれ)、命(みこと)を天朝に受(うけたまわ)りて、遠く東の夷(ひな)を征つ。則ち神の恩(めぐみ)を被(こうぶ)り、皇(きみ)の威(みいきおい)に頼(よ)りて、叛く者、罪に伏(したが)い、荒ぶる神、自づからに調(したが)いぬ。是を以て、甲(よろい)を巻き戈(ほこ)を戢(おさ)めて、ト悌(いくさと)けて還(かえ)れり。・・』」
【熱田神宮】(名古屋市熱田区)、主祭神は熱田大神。草薙剣(天叢雲剣)をご神体とする。草薙剣(一説では天叢雲剣)は、大日如来(一説では天照大神)の姿でもあるという。
相殿の神は、天照大神、素戔嗚、日本武尊、宮ス姫、宮ス姫の兄・建稲種。
☆明治期以降、神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を依り代とした天照大神とされる。
F彼が死に至った原因については、いささか不審な点もある。「景行記」は、「日本武ら三人の太子が同時に立てられた」とし、さらに「日本武は出雲タケルの友達となって近づき、湖の辺で彼を騙まし討ちにした」と記す。他方で、「崇神紀」は、「出雲に吉備津彦らを遣わして、出雲飯入根(出雲タケル) を騙まし討ちした兄・出雲振根を殺させた」とも伝える。
いずれも事実ならば、日本武は崇神の手勢に殺された可能性もある。彼の駿河での災難や伊吹山における思わぬ事故も、太子の位を巡る内紛に起因しているかも知れない。

【お詫び】144〈黒塚古墳 〉2と順番を取り違えました。

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