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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え135〈日本王朝の滅亡〉1

<<   作成日時 : 2015/02/05 06:43   >>

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‥‥饒速日の降伏→日本朝滅亡と同義。二九八年頃
金色の鵄の祥瑞→高皇産霊に成り代わって郊祭できる資格を天から拝命
天津瑞の天羽羽矢→火天神・天鹿児山(天羽羽)の御子の印し
@その後、神功は武甕雷軍・騎馬軍団を率いて紀ノ川沿いの山道を駆けのぼり、纒向の都に向かって快進撃していた。夫の訃報を聞きつけたヒミコがこの道を駆け抜けた話は、子供でさえ知っていた。神功はそのヒミコの姿をそっくり真似ていた。敵方は白い喪服姿が神功だと気づきはしても、ヒミコに出会ったごとくひれ伏し、その後は姿をくらますことで道をあけた。
北では、竹内・武振熊軍が木津(京都府)から攻め入る好機を窺っていた。これと対峙する大日本王開化の嫡子は、日本の敗北が必至と見るや、早々と竹内軍に寝返ってきた。彦坐王(ひこいますおう)と語る弟(日子坐王を襲名)も奈良坂の砦をあっさり明け渡して、兄とともに三輪に向かって驀進した。
☆後世に、兄が崇神天皇として立つと、この弟は丹波道将軍となって降って行った。
A同じ頃、磐余彦軍も三輪山麓に怒涛のごとく殺到した。そこでは、長スネ彦に与する精鋭が水濠で囲った石垣砦に立てこもり、徹底抗戦を叫んでいた。
磐余彦は総攻撃を繰り返して砦の一角を突き崩すと、長スネ彦の陣地に大軍を差し向けた。討手はしきりに長スネ彦を攻め立てたが、どうしても落とせなかった。すると、急に空模様が悪くなって金色の鵄(とび)が何処からか飛んできたと思うと、磐余彦の天鹿児弓に止まって照り輝いた。一瞬のできことだった。
東征軍はそれが経津主か高皇産霊の垂迹した姿、あるいは勝利の祥瑞と感じとった。片や、長スネ彦の将兵らは天照大神の発した戒めの霊光と見て恐れおののき、戦う気力まで無くしてしまった。
事態がこうまで悪化しては、饒速日も敗北を認めざるを得なかった。時に二九八年末、饒速日は磐余彦に対して神璽の鏡も、天神の御子と印す天羽羽矢も差し出して降伏した。
結果からすると、磐余彦はこの霊光によって決戦するまでもなく日本を降し得たが、それは力で押し捲った末の勝利だったから、兵法極意を達成できたとは言いづらい。ここはむしろ、経津主または高皇産霊が垂迹してきたところに本意がありそうだ。つまり、磐余彦が高皇産霊に成り代わって郊祭できる資格を天から授かったと見るべきだろう。
「神武紀」、「皇師(みいくさ)遂に長スネ彦を撃つ。連(しきり)に戦いて取勝(か)つこと能わず。時に忽然(たちまち)にして天陰(ひし)けて氷雨(ひさめ)ふる。乃ち金色(こがね)の霊(あや)しき鵄有りて、飛び来りて皇弓(みゆみ)の弭(はず)に止れり。其の鵄光り曄U(てりかかや)きて、状流電(かたちいなびかり)の如し。是に由(よ)りて、長スネ彦が軍卒(いくさのひとども)、皆迷(まど)い眩(まぎ)えて、復力(またきわ)め戦わず。」

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