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zoom RSS 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え137〈黒塚古墳 〉1

<<   作成日時 : 2015/02/07 06:48   >>

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‥‥黒塚古墳→箸墓の真北に築かれた故、この名がある(北の色〓黒)
祝いの八咫鏡(三角縁神獣鏡)・祝いの鉄刀出土→邪馬台国(日本朝)滅亡と同義
葬送用と祝いの八咫鏡(共に三角縁神獣鏡)・鉄刀の副葬→大和朝廷の葬送儀礼に発展
@ここで、例の黒塚古墳について考えたい。箸墓古墳と黒塚古墳は旧上之宮の真南と真北に位置している。五行説では、黒は北を意味するから、北郊と似た祭祀が黒塚古墳で行われた可能性が高い。  
この儀式において、磐余彦側は葬送用の八咫鏡を副えて弔った。ついで邪馬台国側がヒミコから授かる祝の八咫鏡(絹で包まれ、手擦れのある三角縁神獣鏡)を添えた上で、饒速日から賜った祝の鉄剣や葬送用呉鏡も棺内に並べ置いて冥福を祈った。 
【黒塚古墳】(天理市柳本町)、三○○年前後に築造された全長一三〇b、後円部径約七二b、高さ一一bの前方後円墳で、周濠を備える。被葬者の頭部近くに画文帯神獣鏡一・鉄刀一・鉄剣一、木棺外に三角縁神獣鏡三三面があった。三角縁神獣鏡には絹で包まれた鏡、磨きの有る鏡と無い鏡、製作期が三世紀前半や後半の鏡が混在する。この外にも鎧の小札・鉄斧・鉄鏃などが出た。
だとすると、こう考えてよいのではないか。
一、画文帯神獣鏡は呉の領域の鏡とされるから、被葬者は饒速日に近い人物だ。
一、三三面の三角縁神獣鏡には、絹で包まれたもの、磨きの無いものと有るもの、製作期が三世紀前半と後半の鏡があることから、ヒミコの祝の八咫鏡と一緒に磐余彦の葬送用八咫鏡が埋納されたのは明白だ。
一、饒速日の祝の鉄刀が出たことは、日本王朝が滅び去ったことを教えている。
一、多量の鏡や鎧の札、それに絹・刀剣が出た割には、古墳が小さい。これから推して、被葬者の身分は高いが、来世での地位はそれほどでもなかったらしい。
A双方がかくも盛大に副葬品が副えたことから察すると、この被葬者は饒速日の傍に仕えて記紀にその名の残る王族か武将、強いて言うなら、大日本家、中つ国、日本系の実力者ではなかったか。
彼が戦死したのか、責任を取って自害したのか、それとも殺されたのかは定かでないが、和(ヤマト)と日本(やまと)がここで彼の亡骸を共に弔ったことだけは確かだろう。
☆ちなみに黒塚古墳の築造は、長スネ彦が殺害された時期とぴったり一致する。
こうすることで、磐余彦はヒミコと饒速日に忠誠を誓った祝の祭器を葬り去るとともに、大和朝廷に忠誠を誓わせる儀式にすり代えた。以後の主だった古墳は、この儀礼に右倣えしたことで、銅鏡・鉄剣・玉など三種の神器が決まって出てくる。
一方、八咫鏡・草薙剣による先祖祭祀は高千穂宮時代に戻って、倭王だけの特権と化していった。
☆大和朝廷時代になると、邪馬台国側の祝の鏡は、十握剣に似せた鉄剣とともに片っ端から古墳に副葬された。その結果、正倉院の宝物には邪馬台国時代の銅鏡が一枚も存在しない。そこにあるのは奈良時代や唐の鏡だけだ。

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